セミリタイアを目指す20代サラリーマンが2億円にむけて資産運用してみた

セミリタイアを目指す20代サラリーマンが株式投資で2億円を目指して資産運用中。日本株と米国株(JDドットコム&ビリビリ動画)、トラリピがメインです。

無限に引き出せるATMと、責任の伴う自由

大学時代、私には無限に引き出せるATM があった。本当は後述するように無限なんかではないんだけども。

どこへでも行ける「どこでもドア」というものならみなさんご存じだと思うが、「無限に引き出せるATM 」があったら誰しも利用してみたいと思うはずである。

今でこそ良い思い出であるが、国立大学の受験にすれすれなのか、はたまた、はるかに及ばなかったのかは不明だがとにかく落ちたのが2月。高校三年の当時の幼き世間に疎い私からすれば、3年間の集大成とも言え恋愛を捨てて挑んだ大学受験の合否はその後の長き人生を左右どころか全てを決める最重要事項と当時の小さな視野のなかで考えていた。

夜の新宿の街を歩いてたら撃たれるのではないか?と心配するくらいの私ではあったが、無事に気に入る物件を見つけて一人暮らしが始まることになった。そのタイミングで母親が渡してくれたのが、一枚のキャッシュカードだった。

一般的な大学生といえば、毎月の仕送り額が決められていてそのなかでどうにかこうにか工面する場合が多い。それでも足りない場合はバイトでためたお金で補充をして生きていくパターンになる。

そうではなく、私の場合は何も縛りがなかった。無限に引き出せると書いてしまうと要らぬ誤解があるが、正確に言うならば引き出せる金額が無くなってきたら電話すれば追加をいつでもしてもらえる状態であった。

こうなると、「自由」なのである。しかし、バーナードショーが『自由は責任を意味する。だからこそ、たいていの人間は自由を恐れる。』というように自由には責任が伴うのである。本当に無限に引き出せると思って自由気ままに使うわけにもいかない。

朝食は麻婆豆腐、昼食は学食かパン、夕食は300円以内に抑えるなど、徳川吉宗も驚くほどの質素倹約を掲げて生活をしていた。友人が私の家に泊まりに来た翌朝に、麻婆豆腐丼を作ってあげたら「朝からこんな重いものを食えるか笑」と突っ込まれたことがある。たんぱく質はたっぷりなんだけどな。

この時から夕食のおかずで150円を越えるものは贅沢だという自分なりの基準が出来上がった。無論、掲げた質素倹約を守れずよるのコンビニ通いでアイスの誘惑との戦いに破れることも幾度もあったのも事実だ。

私はなぜか良い意味で「お金を使うことに対する申し訳なさ」を感じることが多々ある。この背徳感のようなものの気配を感じるのは、過去の経験に依存することがよくあるようだがその一例であろう。

ただ、こういった一見完全なる自由に見える責任の伴う自由を与えてくれた母(そしてさらに稼ぎだしていた父)には多大なる感謝をしている。だからこそ、ほぼほぼ家賃だけで消えてしまう社会人の最初の給与でも貯蓄をすることができて資産の基盤を作れた。

「必要ならいつでもいいなさい」という母親。幼き私だって本当は無限なんかじゃないことはもちろん知っていた。私も、自分の子供には同じことをしてあげたい。「責任の伴う」とは言わないが、「自由」を。

そういえば、こんなことを書いていたら母の日が来る12日にあることを思い出した。

毎年のように「ごめん、また何も贈れてないんだけどいつもありがとう」と定例のような文言を私は母にいっている。それに対する母の定例の反応と言えば、「あなたが元気にしてくれていればそれでいいのよ」である。お互いにまた今年も同じことをいってるなと、毎年のように若干にやけるのである。

子供をもって初めて思うが、何かを贈られるよりも何よりも元気にしてくれることが嬉しい。私がいっても毎年贈らない自分を正当化しているようにしか聞こえないが、本当にそうなのである。

こうしてまた母の日を来週に迎えるが、今年こそは何かを贈りたいと思う。