セミリタイアを目指す20代サラリーマンが2億円にむけて資産運用してみた

セミリタイアを目指す20代サラリーマンが株式投資で2億円を目指して資産運用中。日本株と米国株(JDドットコム&ビリビリ動画)、トラリピがメインです。

見上げた青い空の広さと、会社というちっぽけな幻想

10連休という異例の長さを誇る今年のゴールデンウィーク。普段忙しなく働く世の中のサラリーマンにとって1ヶ月の33%を休むことなど日本にいる限り皆無だったはずである。ゴールデンウィークも残すところ2日にして若干憂鬱なサザエさん症候群なるものを心のどこかに感じ始めた今日この頃、もう到来しないであろうこの長期休暇を過ごして思ったのは、「毎日の計画を練るのは疲れる」、「普段盲目的に働いているが会社などちっぽけな幻想だ」ということの2つだ。

まず1つ目の「毎日の計画を練るのは疲れる」についてだ。サラリーマンである限り、ある程度毎日の時間割なるものは決まっていることが多い。例えば、○時に出社、朝礼、雑務処理、○時から昼食、○社との定例MTGなど自分自身で思考せずとも仕事が割り当てられている。そう考えると会社という組織に感謝にしなければならないように思えてくる。

他方、今回のような長期休暇となると話は別だ。毎日何をするかを自分自身の確固たる意思で決定せねばならない。例えば、○日は友人と映画、○日から○日は帰省して両親への親孝行、○日は家族で旅行などである。経験してみて理解できたが、何かをせねばならないと感じながら毎日の計画を練り続けるのは精神的に意外と苦痛なものである。

苦痛からの逃避により計画を伴わず1日を迎えることになると惰性への門が「ようこそこんにちは」と扉を開く。前日の疲労から朝10時頃に起床。何か1日の半分を無駄にした背徳感が心に残りながらも、冷蔵庫にある残り物を手に取り朝食のような昼食を終える。気づいてみると、いつものパソコンと対面してドラマの続きか終わりなきユーチューブ鑑賞が開始される。

こんな具合に現実は進む。仮にリア充を気取って(久しぶりに使う単語である)お出掛けするとしても旅行先は大渋滞もしくは大混雑というのがオチである。そんな日々を過ごすとあっという間に残すところゴールデンウィークも2日となり、現実に突き戻されてこんな記事を書くことになる。

二つ目の「会社などちっぽけな幻想だ」について。
私の場合は前半から予定を詰め込み、長距離走の前半戦で体力を消耗してしまうような過ごし方をした。しかし、息の切れ始めた後半戦から生き急ぐ必要を感じなくなったため、特に予定もいれずに過ごしてみた。

少々早起きをして花に水をやると毎日この花も自分と同じく上に上に伸びていき、花を咲かせようとしていることに気づく。

普段は早足で通りすぎる公園に子供とよってみればのんびりとした時間が暖かく流れていることに気づく。

ここ数ヵ月の間、会社という幻想が自分の過ごす時間の9割と最優先事項としてプロットされていたのは間違いない。妻にも説明してるがこれは生きるために必要不可欠なのてある。

「けれども」だ。

広い世界のなかでみたら毎日の会社の中で起きてる出来事など、昼間の公園で見上げた青い空の広さからしたらちっぽけな幻想である。

この世界は広い。近視眼的な視野では、世界の中心は目の前の銀の箱のなかに詰まった人間関係とそこで作られる社会だと勘違いしやすい。ただ、少し視点をずらしてみれば、もっと健全で余裕のある心の持ち方をできるはずだ。そして、平日のまるで会社がすべてであるような偏った時間配分も、自らの趣味趣向に使う時間に重きを置くこともできるはずである。

異例の長さを誇ったゴールデンウィーク。折り返し地点から息が切れ始めたのは事実であるが、盲目的に働いてきた自分に大切なことを気づかせてくれた。かといって日々の生活がかかってるなか、おいそれと時間配分を変更できないのもサラリーマンとしての宿命でもある。

そんな複雑な、消化しきれない思いを抱きながらこうして8日目の夜を過ごしている。